合わせた女性のブログを知

わたしのブログの存在をリアル人は知っているのに、それでもブログを「書く」ということはどういうことか。
お天気の話や時事ネタ、スポーツ、推し活を書いても、書く方は面白くない移民多倫多
読む方はもっと面白くない。

まだブログを始めていなかった頃、母に連れられ参加したテーブルマナー講習会で、初めて顔を合わせた女性のブログを知った。
年齢はわたしより10歳弱ぐらい歳下?
その人はやがてわたしのブログにも訪れ、やりとりをしたことがある。
わたしの憧れの暮らしをされていた。
華美なものに囲まれ、日々、高級素材を駆使したグルメな食卓、ティータイム、、、マリーアントワネット的なゴージャスライフ。
でも、読むのをやめた。
おそらく、さらっと読む分には楽しいが、深く読むと、自分の信条との違いが浮き彫りにされ、心地よくなくなるからだろう人民币国际化
なんでも、表面的に、さらっと、が無難。
決して否定するのではなく、目の保養になる上澄液だけを養分にいただくとよいのではないだろうか。

自分と他人との違いを見つけて、刺激材料にするのもよし、自分の道を再確認し、肯定するのもよし。
あまり深く入り込むと必ず嫌な面や受け入れられないところが見えてくる葡萄牙移民
長所短所、どちらも含めて人は形成されている。
追求するのは、ほどほどがよい。
これは、他人に対してだけでなく、自分に対してでもある。
腹八分目。足るを知る。

ブログに話を戻す。
ものすごく近い関係の超?身内(わたしと同じ学年)がいて、ブログを書いていた。
わたしのパソコンやインターネット関係はすべて彼女の手解きから始まっている。
お互いのブログの存在は知っている。
具体的には、蝶ブログを彼女は知っているが(ふとしたことで、わかったそうだ)、わたしは彼女のブログ名を知らなかった。
あえて知ろうとはしなかった。
彼女は日々、あったことを書き連ねているので、それを知ることはお互い、色々まずいから。
彼女はわたしの母と同居していたこともあり、わたしは実家の生活にはあまり首を突っ込みたくなかった。

その後の話はあるのだが、まだ書く気持ちにはならない。
わたしの中で、完全に消化できたことなら書くが。
一生、書かないことは、山のようにある。
捏造や嘘は決して書かないが(勘違いや覚え間違いはあるかも)、書かないことも結構ある。
こころの奥にしまって鍵をかけていることは表には出てこない。
時効が来たら出るのかも知れないが、それはわからない。


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